王貞治を育てた人を育てた人(絶版本のヒーローが歴史を動かす3)

読売巨人軍の背番号1 、王貞治選手」と今でも書くのが適切であろうか。
868本という世界で最も多くのホームランを打ち続けたあの雄姿を想起するなら、福岡ソフトバンク会長という現職を記すよりも、鮮明なものがある。

「フラミンゴみたい、ひょいと一本足で」 ピンクレディーの大ヒット曲「サウスポー」
にも歌われた独特の打撃フォームを壮絶なる猛練習によって伝授したのは荒川博コーチ。王選手にとっては早稲田実業の大先輩でもある。

戦後間もない頃、空襲の焼け跡に復活の球音を響かせた早稲田実業野球部。ユニフォームはおろかグローブやボールなどの用具の調達にも苦労が絶えず、おまけに部長、監督として生徒を指導する教員もいなかったため、抜きん出た存在であった荒川博が監督兼コーチ兼主将という一人三役を努めていた 。

その荒川が最初に手ほどきを受けた師匠。
それは当時、同じく浅草に住んでいた河合君次。大正時代、早大野球部の主力選手であった。勝負強い打撃と外野手としての強肩ぶりには定評があった。

「無駄のないプレーをしていましたね」河合は晩年、少年時代の荒川をそう評していた。

投手の投げる球をバットで叩く時の無駄な動作を省くために王貞治のフラミンゴ打法は生まれたのであった。 (敬称略)

★ 虹のスラッガー・河合君次伝
 
  
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紙製本 前野書店 1991年