幻の赤穂浪士は陰の殊勲者?(絶版本のヒーローが歴史を動かす4)

赤穂浪士の吉良邸討ち入りは12月14日である。しかし、当初の予定では12月5日であった。時の将軍綱吉が大老格の柳沢吉保邸を訪問するので 、吉良邸で行われるはずの茶会が延期になり、主君の仇である吉良上野介の在宅が確認できないということが理由であった。
 もし予定通りに5日に討ち入りが行われていたならば 、後世には「四十七士」ではなく「四十八士」として伝えられるはずであった。

 実際に討ち入りが行われた14日までにまた一人脱落者が出た。毛利小平太である。それまでは、持ち前の機敏さと度胸のよさで、吉良邸に潜伏、邸内の様子を詳細に探り、噂には伝え聞いていた竹垣が実際にはなかったことなどを確かめた。
その小平太は討ち入りの3日前に 「よんどころなき」事情があって脱盟する旨の書状を大石内蔵助らに送っている。兄に反対されたからであるともいわれている。

 もし、小平太が討ち入りに加わっていたならば、邸内探索の大手柄が賞賛されていたはずだが、しかし、もし小平太の隠密活動がなければ、討ち入った浪士たちももっと苦戦していたかもしれない。数名の負傷者のみで、誰一人として討ち死にをせずに本懐を遂げることができたのは、小平太が屋敷の様子を詳細に調べ、当夜は余計な不安なく戦えたからなのであろうか? そう考えれば、最後の脱落者も陰の殊勲者なのかもしれない。

忠臣蔵脇役列伝(でじたる書房
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紙製本 廣済堂出版 1998年 (「忠臣蔵なるほど百話」所収の「義士外伝の人々」の章)