戦国武将の少年期に学ぶ自殺防止

戦国時代の小田原城主、北条氏康は、武田信玄上杉謙信とも互角以上に渡り合った名将として知られているが、少年時代は臆病であった。鉄砲(ポルトガル製のではなく中国製か)の演習の音を怖がっていた。それを人々に笑われていたのを恥じた氏康は小刀で自害しようとしたが、家臣の清水小太郎に止められた。その時の小太郎の台詞は「強い武士が物音に驚くことはよくあること、馬でも勘のよいのは鼠のように鳴くものです。若殿は良い勘をお持ちです」

臆病さを勘の良さと肯定的に言い換えることで、氏康に自殺を思いとどまらせたばかりか、自信を持たせることに成功した。氏康はその後、学問、武芸の修行に励み勇猛にして、知略ある武将に成長した。祖父である早雲に始まる後北条氏は、この三代目の氏康の頃が最盛期であった。

これと似たような話は、巨人軍の斎藤雅樹コーチの現役時代にもある。入団後、数年間、斎藤投手は、その技術的な素質には定評がありながら、思うような成績を残せなく、周囲からは気の弱さを指摘されていた。当時の藤田元司監督から、「おまえは気が弱いのではない。慎重なのだ」と言われて、自信を得、毎年のように二桁の勝ち星を稼ぐエース級の投手に成長した。

短所の裏側にある長所を肯定することで、自信を持たせる。現在、いじめによる子供たちの自殺が後を絶たないが、こうしたことが完全な解決策とまで断言できなくとも、ヒントの一つに成り得ないものか。

(本の博物館館長代理・菊池道人)
*この記事はツカサネット新聞に掲載されたものです。

北条氏康  PHP研究所

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