故郷・早稲田を綴る

先ずはこの本の著者にこの場を借りて、遅ればせのお礼とお詫びを申し上げなければならない。
 著者・安井弘氏が四代目として握り続ける八幡鮨は、評者が早大在学中に在籍していた「歴史文学ロマンの会」が宴会場として度々使用、二階座敷で騒ぎまくっていたからである。 評者入学時の新入生歓迎会、卒業時の追い出しコンパもこの店であった。
   私事はさておき、著者の安井氏は戸塚第一小学校、早稲田中学、早稲田実業に学び、父祖の代からの老舗鮨店を継ぎ、今なお現役であるという。また、下戸塚郷土史研究家でもあり、「我が町の詩 下戸塚」の刊行にも携わった。早稲田に生まれ育ち、愛情深き眼差しで見つめ続けた故郷の姿を綴った名著である。
 江戸時代、この地には高田馬場とよばれる馬術場があり、武士たちが流鏑馬などに励んでいた。後の赤穂四十七士の一人、堀部安兵衛こと中山安兵衛が義理の伯父の助太刀で武名を挙げた由緒ある地に、明治十五年、その前年の政変で下野した大隈重信が東京専門学校、後の早稲田大学を創設した。田んぼやミョウガ畑、そして校歌の歌詞にもあるような「早稲田の森」に囲まれた緑豊かな地も、学校の発展に伴い、商店や下宿屋が立ち並ぶようになったが、著者の少年時代に起こった第二次世界大戦の際には、多分に漏れず、空襲の被害に見舞われた。戦後の経済成長、さらには平成時代のバブル崩壊と時代の変遷とともに街の姿も変わっていった。
 しかし、早稲田は学生の街。いつの世も様々な青春ドラマがあった。そうした数々の人間模様が美しき自然描写とともに綴られている。
 読み終えて本を閉じ、やや上を向いて目をつぶった評者の瞼には、今頃は紅葉が盛りの水稲荷神社、秋の青空を突き刺すかのように聳える大隈講堂がかすかに浮かんでくる。
近いうちに、思い出の店でもある老舗にて旨い鮨を肴に一献と評者は思っている。(本の博物館館長代理・菊池道人)