平安時代と昭和時代。二つの時代の海外渡航記に共通するものは?

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二つの海外渡航記を同時進行で読んだ。一つは「入唐求法巡礼行記」。これは慈覚大師こと円仁が平安時代初期に遣唐使として唐に渡り、密教を学んで帰国するまでの旅行記である。
 もう一つは「東京ジャイアン北米大陸遠征記」。こちらの方は、現在の読売巨人軍の前身である東京ジャイアンツが創設間もない頃にアメリカ大陸へ遠征し、現地のセミプロチームやマイナーリーグのチームと各地で転戦した時の様子を、当時の新聞記事や関係者の回顧録などを基にして、著者の永田陽一氏が詳細に綴ったものである。
 平安時代初期と昭和初期、野球と仏教との違いこそあれ、二つの海外渡航には共通するような部分もある。 
 それはどちらにも、大海原のそれに加え、時代の荒波にもまれての旅であった、ということである。
 円仁が渡った唐は、すでに王朝が末期を迎えようとしていた。時の皇帝・武宗は道教を盲信するあまりに、仏教に厳しい弾圧を加えていた。さらには、ウイグルチベットなどの非漢民族の騒乱もあった。
 弾圧も民族問題も、共産党政権支配下の現代中国にも存在する問題であるが、九世紀初頭の唐王朝の求心力の低下もこの旅行記からうかがえる。結局、円仁が渡航してから半世紀余り後に、唐の衰退などを理由に遣唐使は廃止される。円仁一行の入唐は最後の遣唐使となったのであった。
 外交史上の一つの時代の終焉を目前にしていた中での旅であったという点では、昭和十年の東京ジャイアンツも同様である。日米開戦はその六年後のこと。すでに、日本の中国大陸侵略を巡り、日米関係は悪化の一途をたどっていた。日米野球を企画するなど親米的であったジャイアンツの生みの親である正力松太郎はこの遠征が行われている最中、右翼に襲撃されている。日本から来たこの新興チームに熱烈な声援を送っていた在米日系人たちにも、アメリカの排外主義の陰が濃くかかっていた。
 が、暗い時代、重苦しい時代にも関わらぬ文化摂取への情熱は、誇るべき歴史として語り継がねばならないはずだ。
(本の博物館館長代理・菊池道人)
*この記事はツカサネット新聞に掲載されたものに若干の修正を加えたものです。