終戦記念日に椋鳩十「熊野犬」


動物文学を数多く発表した椋鳩十氏の小説に「熊野犬」がある。作者自身の身辺に素材をとった作品であるといわれている。

弟から熊野犬の小犬をもらった主人公は大切に育ててきたが、やがて太平洋戦争の戦局が悪化すると、食糧事情悪化の打開策から、軍用犬以外の犬は全て殺すようにとの触れが出るようになった。主人公は、「この犬は生態研究のために飼っているのだから」と熊野犬を差し出すことを拒みつづけていた。ところが、主人公の子供たちが、近所の大人たちから、「犬を差し出さないのは非国民だ」といじめられ、とうとう犬を警察にさしだてしまった。

筆者がこの物語を読んだのは、確か、小学校の五年生か六年生の頃であったと記憶している。当時、筆者の家でも犬を飼っていたこともあって、強烈に心に残ったが、なかでも、犬をかくまいつづける家庭の子供たちを非国民と罵る大人たちの言動には、激烈な怒りを覚えた。いくら戦争中だからとはいえ、自分たちよりも弱い者をしいたげる者には激しい憤りを覚えた。なぶり殺しにしても飽き足らない奴らだとこの大人たちに対して思った。

あれから三十年以上も経つが、いまだにあの時の憤りは変わらない。時流の尻馬に乗って出来上がった「偽物の正義」を振りかざす付和雷同ぶり。自分が正義の一員になったつもりで悦にいっている軽薄さ。

例えば、大正時代に朝鮮独立論を唱えた石橋湛山や昭和初期の軍部の暴走を批判する演説のために議員を除名された斎藤隆夫、その斎藤除名に反対し、ついには議員辞職した安部磯雄。こうした人々を排除していったのは、「偽物の正義」を振りかざした付和雷同派。すなわち、椋鳩十の小説ならば、犬を差し出さない家庭の子供たちを非国民呼ばわりした大人たちと同類の人々であったはずだ。

残念なことに、「偽物の正義」の一員になっている付和雷同は、現在も生きているような気がする。数年前、イラクで人質にとられたボランティア活動の日本人に対するバッシングに、それが見えるようである。少なくとも、観光旅行、物見遊山とは別のものであると差し引いて考えることがどうしてできないのかと、もどかしい気持ちは拭いさることが出来なかった。

さて、話を椋鳩十作「熊野犬」に戻そう。熊野犬のマヤは頭を血だらけにしながら飼い主のもとに帰り、そこで息絶えた。殴られて、致命傷を与えられても飼い主のもとに戻ろうとするマヤの思い。この場面を読み返して、筆者は誓いたい。

「どんな時局となっても、安易な付和雷同をして、弱者をしいたげることは断じて許されない。そのためには、他人の言説を鵜呑みにせずに、自分の頭で先ず考えること。そして、何よりも孤立を恐れないということである」と。

本の博物館館長代理・菊池道人

この記事はツカサネット新聞に掲載されたものです。

「熊野犬」を改題した本です。